海溝部を震源とする,いわゆる海溝型巨大地震は, 図5.1に示すようなメカニズムで発生します. 太平洋プレートやフィリピン海プレートのような海洋性プレートの沈みこみによって, 陸側のプレートは,常時,内陸側に引きずり込まれており,太平洋側に突き出た岬, たとえば房総半島の野島崎,三浦半島の油壷,静岡県の御前崎,紀伊半島の潮岬,四国の室戸岬,足摺岬などでは, いずれも年間数mmの速度で地盤の沈降が観測されています. これが永遠に続くと日本列島は沈没してしまうことになりますが,時折大地震が発生することによって, それまでに蓄積された1〜2mの沈降分が一気に隆起して,元に回復するという動作が繰り返されています.
=== 図5.1海溝型巨大地震発生のメカニズム ===
図5.1は,
海溝型巨大地震の発生するメカニズムを模式的に示しています.
上段では,沈み込む海洋プレートと陸側プレートとがボルトでとめられているように描かれていますが,
実際には摩擦力によって固着した状態となっています.
この状態がどんどん進行して,蓄えられた歪エネルギーがある限界を超えると,
摩擦力よりも,元に戻ろうとする反撥力が勝って,同図下段のようにボルトを断ち切り,
陸側のプレートが跳ね返ることにより,大地震の発生となります.
このような跳ね返りは急激に生じるため,その際の強い震動が地表に伝わって被害をもたらすと同時に,
断層運動による海底の隆起によって持ち上げられた海水が,津波となって沿岸に押し寄せることになります.
=== 図5.2 太平洋沿岸に発生する海溝型巨大地震の分布模式図 ===
図5.2は,
我が国の太平洋沿岸に発生する海溝型巨大地震の分布を模式的に示しています.
北海道から九州にかけての沖合いでは,海溝沿いにM8級地震の発生場所が並んでおり,
たとえば近年だけでも,1968年十勝沖地震(M7.9),1994年三陸はるか沖地震(M7.5),1978年宮城県沖地震(M7.4),
1938年福島県沖地震(M7.5),1923年関東地震(M7.9),1944年東南海地震(M7.9),1946年南海地震(M8.0),
1968年日向灘地震(M7.5)など,枚挙にいとまがないほど地震が頻発し,多くの災害をもたらしてきました.
=== 図5.3 伊豆半島の衝突による関東地震と東海地震の震源域の特殊性 ===
ところで,図5.2に示される地震発生場所のうち,
関東地震と東海地震だけは震源域が沖合いではなく陸上にかかっており,特異な存在となっています.
これには,伊豆半島の日本列島への衝突という複雑な事情が絡んでいます.
図5.3の上段に示すように,
かつて伊豆半島は南方のフィリピン海プレート上にのった島でした.
ところが,この島はあまりに大きかったために日本列島の下へ沈み込むことができず,
約百万年前に日本列島に衝突したとされています.
その際,本来沖合いの海溝部にあったプレート境界も陸上に押し付けられ,
伊豆半島東側の相模湾から関東地方下に沈み込むフィリピン海プレートの上面では関東地震タイプの地震が,
また西側の駿河湾から東海地方の下へ沈み込むプレートの上面では東海地震のようなタイプの地震を,
それぞれ起こすようになったのです.
このプレート衝突の影響によって,山梨県東部から神奈川県西部にかけての深さ20km前後には,
現在も恒常的に活発な地震活動が見られます(図1.5(b)参照).
日本は地震国であり,様々なタイプの地震が各地域で発生しますが,この関東地震と東海地震の2つは, M8級の巨大地震が足元で起きるという意味で別格の恐ろしさがあり,防災上特別な意味を有しています. このため,両地震を発生させる関東・東海地域は, 早くから地震予知連絡会によって「観測強化地域」という特別な指定がなされました.
=== 図5.4 駿河・南海トラフに沿った最近300年間における大規模地震の繰返し ===
とくに東海地震は,歴史的な地震の繰返し性からみて(図5.4),
その発生に相当の切迫性があると判断され,1978年には,
世界にも例を見ない「大規模地震対策特別措置法」が制定されました.
この法律に基づき,東海地震が発生した場合に震度6以上となることが予想される範囲
(図5.5(左)の赤枠内)については
「地震防災対策強化地域」の指定がなされ,防災対策の強化が進められてきました.
また同時に,「地震防災対策強化地域判定会」が気象庁を事務局として発足し,
地震発生の危険性が察知された場合には内閣総理大臣から「警戒宣言」が発令されるという枠組みができあがっています.
我が国では公式な地震予知が行われたことは一度もなく,技術的には何の保証もないのですが,
事柄の重大性に鑑みて,ぶっつけ本番の地震予知体制が動き出したということになります.
M8級の巨大地震が足元で起きるということは,観測の立場からすると,
震源域に肉迫して各種のモニターができるということであり,
より小さな地震や遠方の地震を相手にする場合と比較すれば,
相対的には何らかの前兆的信号をキャッチできる可能性が高いと言えます.
このように,予知の必要性と予知の可能性とがぎりぎりに折り合った形で,現在の東海地震監視体制は続けられています.
ただし,法律は東海地震の予知が首尾よくなされた時に,その後の人間社会の行動を律しているだけであり,
当然のことながら,法律が前兆の出現を保証してくれるわけではありません.
予知がないまま地震発生に至るケースも十分に考えておかなければなりません.
なお,東海地震の想定震源域は2001年に見直しがなされ,図5.5(右)に示すように,フィリピン海プレートの上面に沿うナスビ型の領域に改訂されました。これに伴って,地震防災対策強化地域の範囲も拡大され,平成22年4月現在では図5.5(左)に示す黄色の領域にある8都県約160市町村が指定されています。
駿河湾付近を震源とする東海地震の切迫性が指摘されて以来, すでに35年が経過していますが,2012年9月現在,まだ東海地震は発生していません.しかし,この35年間に地震が発生しなかったからといって,危険性は去ったと考えることはできません. 東海地震の再来間隔は約150年とされていますが,前回の東海地震は1854年に発生しているため, 2012年現在では,すでに158年が経過しています. まさに,いつ起きてもおかしくない状況といえるでしょう.
=== 図5.6 水準測量により検出された,掛川に対する浜岡の沈降(国土地理院による) ===
この間に,地震防災対策強化地域における耐震化等の対策はかなり進み,
一方,予知をめざして強化された観測網から得られるデータの蓄積も充実してきました.
その結果によれば,フィリピン海プレートの沈み込みに伴う御前崎の沈降に代表されるように,
地震発生への準備は着々と進んでいます.
図5.6は、
国土地理院が最近では年に4回実施している東海地域の水準測量結果に基づく,
掛川市を基準とした浜岡町の沈降の様子を示しています.
下段の図は,原データから季節変化の影響を取り除いたものです.
この50年間で浜岡は25cmほど沈降しており,御前崎周辺は年間5〜6mmのスピードで海に引きずり込まれてきたことになります.
=== 図5.7 1986〜2000年における東海地方の震源分布と固着域(防災科研のデータによる) ===
図5.7は、東海地域で1986〜2000年の15年間に発生した微小地震の震央分布と、
フィリピン海プレートの進行方向に沿った震源分布の鉛直断面図を示しています。
断面図では、沈み込んでいくプレートの内部に発生する地震と陸側プレート内の浅いところで発生する地震とを
分離することができ、深さ10〜30km程度の範囲において両プレートは固着していると考えられています。
図5.8の上段と中段は、東海地震を起こすと考えられているこの固着域より浅い部分(上盤側)および深い部分(下盤側)に発生した
M1.5以上の地震の積算回数を示しています。
小さな図は2001年1月までの約20年間,大きな図は約3年間の変化を示していますが,この前後には,それまでの直線的な変化からのずれが目立ち始めました。
まず1997年頃より上盤側で微小地震の発生率が20%ほど低下し,
次いで1999年8月頃からは下盤側でも40%ほど地震発生率が低下しました.
=== 図5.8 固着域の上盤側および下盤側に発生したM1.5以上の地震および富士山直下の低周波地震の積算回数(東海のデータは松村正三, 富士山のデータは鵜川元雄による) ===
このような静穏化現象は2000年10月頃にまた転機を迎えます.
上盤側ではさらに静穏化が進み,下盤側では逆に地震活動が活発化したのですが,
これに加えて,富士山直下の深さ15km付近でこれ以前の20年間定常的に発生してきた低周波地震
(地下のマグマの活動に原因があるとされています)の数も急増したのです
(図5.8下段).
その後,2001年4月から6月にかけては,静岡県中部でM4〜5の中規模地震が頻発するようになり, これも以前の数10年間なかった現象です.このような一連の変化が何を意味するのかはっきりしませんが,かなり異常な現象であることは確かだと思われました.
ただし,「異常」すなわち「前兆」とは断定できません。 現在の地震学のレベルでは、このような異常が現れても、 それが来たるべき地震の切迫性を示すものなのかどうか正確に判断することはできません. 東海地震の監視については,「空振りはしても見逃しはせず」という精神で 異常を見逃さないようにしようというのが現状です.
このあと,上記の「事件」からは10年余を経過し,この間に浜名湖周辺で長期的なスロースリップ(5.3節参照)などの異変は現れたものの,今日にいたるまで東海地震の発生には至っていません。
一方,東海地震とならんで,我が国にとってもうひとつの特殊な存在である関東地震については,
おおむね200年程度の再来周期を有すると考えられています.
前回の発生は大正12年(1923年)であったため,まだ80年足らずしか経過しておらず,
このため,関東地震と同じタイプの地震の発生は当分先であろうとの認識がなされています.
ただし,関東地震よりは規模が小さいものの局地的には大きな災害をもたらす,
いわゆる首都圏直下型地震についてはある程度の切迫性があるものと認識されています
(7.3節参照).