とくにどれが本震という区別もなく,似たような大きさの地震が,
ある期間に比較的せまい地域で集中的に発生する現象を,群発地震と呼びます.
日本周辺では小規模な群発地震がときどき起きますが,それらは火山地帯の近傍であることが多く,
岩盤の破砕度が高い地域で群発地震は発生しやすいと言われています.
大抵の場合,震源は浅く,小さな地震が連続的に大量発生しますが,
中にはM5級程度の地震が混じることがあります.
我が国における近年の群発地震の例としては,1965年8月に始まった長野県の松代群発地震,
1978年6月から始まった伊豆半島の伊東沖群発地震,
2000年6月から三宅島・神津島・新島近海で始まった伊豆諸島群発地震が有名です.
=== 図7.3 1965年8月〜1967年10月の松代における日別有感地震回数の推移(「松代群発地震調査報告」,気象庁技術報告より) ===
松代群発地震では,最盛期の1966年4月中旬には有感地震が1日に600回を超え,
気象庁の松代地震観測所では,1970年末までに震度5を9回,震度4を50回,
震度3を419回,震度2を4,706回,震度1を57,626回,記録しました.
図7.3は,
松代における日別の有感地震回数の推移を示しますが,2年近くにわたって,
連日のように多数の有感地震に悩まされたことがわかります.
これに,地震計でのみ捉えられた無感地震を加えると,
1970年末までに観測された地震の総数は648,000回余りに達したと報告されています.
=== 図7.4 1978〜1998年の伊東沖における日別地震回数の推移(防災科研データによる) ===
次に,伊東沖の群発地震活動は,松代のケースとは様相が異なり,間欠的な発生が特徴でした.
1978年以来,20年間にわたって37回の群発地震活動が数えられていて,
平均すると年に2回弱の頻度で発生してきたことになります.
1回の群発地震活動の規模は大小さまざまであり,数日間に数10回の無感地震を起こすだけのものから,
数10日の間に数100回の有感地震を含んで10,000回以上の地震を起こすものまで,色々ありました.
ただ後者の場合でも,もっとも活発な期間はせいぜい1週間から10日間程度でした.
図7.4は,
1978〜1998年の期間に伊東沖で発生した群発地震の日別地震回数の推移を示していますが,
この20年間に観測された地震の総数は,約150,000回にのぼっています.
=== 図7.5 2000年6/26〜8/4の伊豆諸島における時間別地震回数の推移(気象庁による) ===
最後に,三宅島の噴火活動に呼応して発生した2000年伊豆諸島の群発地震活動では,
2ヶ月の間にM6級地震5個,M5級地震36個を含む,我が国の観測史上最大規模のものとなりました.
発生したM4以上の地震の数で較べると,松代地震では2年間に225個,
伊東沖群発地震では20年間に125個だったのに対し,伊豆諸島の群発地震活動では2ヶ月間に591個を数えました.
このような地震活動の規模は,M8級巨大地震に伴う余震活動に匹敵しています.
図7.5は,
この群発地震活動が始まった2000年6月26日から8月4日までの日別地震回数の推移を示しています.
=== 図7.6 1989年6/25〜7/20の伊東沖群発地震の際の時間別地震回数と伊東観測点の傾斜計録(Okada & Yamamoto,1991, JGR,96による) ===
以上の3つの群発地震活動に共通する事柄として,
いずれも,群発地震に伴って非常に大きな地殻変動が震源域の周辺で観測され,
しかもその変動の様子は群発地震の盛衰と歩調を合わせていたことが挙げられます.
一例として,図7.6は,
1989年7月の伊東沖群発地震における1時間ごとの地震回数と,
震源域から数kmの距離にあった伊東観測点(防災科研)のボアホール傾斜計記録を比較しています.
このときの群発地震は6/30より始まり,7/4朝には俄かに活発化,7/9にはM5.5の最大地震が発生,
そして群発地震がおさまった7/13夕刻に手石島付近で海底噴火が発生という経過をたどりました.
傾斜計は群発地震の始まりと同時に動きを見せ,
2つのピークをもった1週間ほどの激しい群発地震に同期して大きく傾き,
群発地震がおさまると傾斜変化もなくなるという推移をたどりました.
なお,図中の10μradという単位は1km先の地面が1cm下がる傾きに相当する僅かなものですが,
日々の定常的な地殻変動に較べると100倍くらい大きな量です.
この例に見られるような大きな地殻変動は,個々の地震の断層運動による静的な変形の和では説明しきれず,
図2.8に示した
火山性の膨張源や開口断層の存在が示唆されています.
実際,伊東沖群発地震では上で述べたとおり1989年7月に伊東沖の海底で小規模なマグマ水蒸気爆発が発生し,
また,2000年の伊豆諸島群発地震も三宅島の火山活動に同期したマグマの動きの関与が推定されています.
一方,松代群発地震では,その末期に大量の地下水が地表に流出し“水噴火”との表現がなされました.
このようなことから,マグマと水の違いはあるものの,
群発地震の発生には地下における流体の挙動が密接に関与しているのではないかとの推測がなされています.
=== 図7.7 1989年5月〜7月の伊東沖群発地震および海底噴火に関するモデル(Okada & Yamamoto,1991, JGR,96による) ===
群発地震と,これに伴う大きな地殻変動は,地下で何が起きているかを推定する重要な手がかりを与えてくれます.
図7.7は1989年5月から7月にかけて
伊東沖に生起した群発地震活動を,主として地殻変動データに基づきモデル化したものです.
5/21-5/25には川奈崎のすぐ沖合で小規模な群発地震が発生し,やはり伊東観測点で傾斜変化が捉えられました.
この時の変化は,図の黄色で示したように,幅1.5km,高さ6km程度のほぼ垂直な面内でマグマの貫入がなされ,
25cmほどの開口を生じたとしてモデル化されました.
次いで,6月末から7月始めにかけては伊東沖で大規模な群発地震が生起し,周辺の傾斜計や歪計,
そして水準測量や光波測量,GPS観測などに大きな変化が現われました.
この主因は,図の赤色で示した幅3km,高さ6km程度のほぼ垂直な面内へマグマが貫入し,
1mあまりの開口を生じたものと解釈できます.
なお,紫色で示した長さ6km,高さ3kmの面は,7/9に発生したM5.5の最大地震をモデル化したものであり,
食い違い量30cmほどの右横ずれ逆断層となっています.
この面が主開口断層と交差するあたりの直上の海底面では,
海底噴火直前に直径300m,高さ25mほどの丘(のちに手石海丘と命名)ができていたことが,
海上保安庁水路部による海底地形測量で確かめられています.
=== 図7.8 1997年2月25日06時から24時間ごとの伊東観測点における傾斜ベクトル図.図中の数字は3時間ごとの時刻を表わす.(Okada et al.,2000, JGR,105による) ===
ところで,伊東沖で繰り返された群発地震には,これに同期していつも大きな地殻変動が観測されてきましたが,
よく調べてみると,群発地震の始まる前から,微弱な地殻変動はすでに始まっていることがわかってきました.
図7.8は,
1997年3月の大規模群発地震が始まる前の数日について,
伊東観測点における24時間ごとの傾斜変化をベクトル図として示したものです.
図にある通り,伊東観測点は東北東-西南西方向の海岸をはさんで海に面しているため,
潮の満ち干に伴う海水荷重による傾斜変化が,海岸線に直交する方向に現われます.
したがって,このような毎日の変化は何の異常でもないのですが,
最後の3/2夕刻からは,これに重なって北東方向へのずれが見られます.
この時の群発地震は3/3午前1時頃より始まるのですが,
それに先行する6時間くらい前より明らかに異常な傾斜変動が現われています.
この先行的傾斜変動の向きは,群発地震が始まった直後に現われる大きな地殻変動と同じであるため,
一連の現象は連続的なものと考えるのが自然です.
すなわち,群発地震が開始する前に生じた初期のマグマ貫入を,傾斜計がいち早くとらえたものと思われます.
=== 図7.9 伊東沖で発生した過去の大規模群発地震に先立つ伊東観測点における傾斜ベクトル図(Okada et al.,2000, JGR,105による) ===
上に見られたような先行的地殻変動が,ほかの大規模群発地震の際にも見られたかどうかを確かめてみたのが,
図7.9です.
ここでは,過去5回の大規模群発地震のそれぞれについて,
群発地震の発生する直前までの約1週間について傾斜ベクトル図が描かれています.
青い線の部分は直前の12時間の記録を示し,群発地震は黄色の矢印の時点から始まっています.
これを見ると,いずれの場合も例外なく,北東方向へ0.2〜0.3μradの僅かな傾斜変化が,
数時間から半日前より生じていることがわかります.
このような規則性が明らかとなったため,
次の大規模群発地震はその発生を事前に予知してやろうと思っていたところ,
これまで約20年間続いてきた伊東沖の群発地震は,1998年4月の活動を最後に,現われなくなってしましました.